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2007年06月12日

体罰教師復職にみる教育現場で求められるもの

「日本の教育現場も捨てたもんじゃない」「教師の中の教師だ」−。体罰をして辞表を出した京丹後市の市立小学校の男性教諭(28)が、辞職撤回を求める保護者の署名で復職したニュースは、教師の不祥事や犯罪の低年齢化など教育をめぐる問題が悪化する中、「希望をもたらす話」として大きな反響を呼んでいる。この“美談”の裏には、教諭に対する児童と保護者の熱い思いと深い信頼があった。

今月4日、教諭は体罰をした直後、自分で校長に報告。校長室に向かう教諭に、ほとんどの児童が泣きながらついていき、校長室の周りに座り込んでいたという。

保護者説明会で「信頼している先生に残ってほしい、という子供たちの願いを強く感じた。辞めさせてはならない」(クラス児童の父親)と保護者が結束し、署名運動を始める一方、校長あてに正直な思いを手紙につづった。

「(教諭の行動は)怒りの感情にまかせた行動ではなく、冷静な対処。自分の職をかけてでも矯正しようとしてくれた先生に感動し、涙がこぼれた」「先生の行動と信念の強さを感じております。先生、もう一度、子供たちを信じてやってください。私もくやしいです」…。

 児童も心境は同じだった。「これからもぼくたちのたんにんをやってください」「先生がいないと学校にいきたくない」「ぼくのせいでこんなことになってごめんなさい」…。全員が色紙に書いた寄せ書きには、素朴だが力強い言葉が並んだ。

謹慎後、教諭は反省文を提出した。「『みんなを殴って先生は辞める』と言ったのは言葉の暴力だった」「子供と話し込んだり先輩の先生と相談するべきだった」などと振り返り、「いかなる処分も受けて、子供たちを立派に成長させ、卒業させる」と決意。最後は「こんな素晴らしい教育環境の中で教師生活をさせていただくことに自信と誇りをもって頑張っていきます」と締めくくられていた。(一部引用)

体罰というものは安易に教師の怒りの発散に使われ易いという要素の為、基本的に厳禁として扱われる。筆者も体罰には賛成とは言いがたいしどちらかといえば否定的だ。

だが、教育の本質というものは体罰をするから悪い教師、しないからいい教師などといった基準では量れないことをこの記事は教えてくれる。教師に常に求め続けられているのは安易な子供たちに対する真摯な姿勢なのである。

子供だから、と子供を舐めてかかる大人はこの世に溢れかえっているが子供は知識や経験はないが決して馬鹿ではない。大人が安易な嘘に逃げればそれを嗅ぎ付けるし、ごまかしをすればするほど信頼を失っていく。子供相手をするには世の中に溢れるビジネス的な嘘、建前は通用しない。本音でぶつかり合っていくしかないのだ。

こんな時代にわざわざ教師という職を目指す人々は真摯な思いを抱いている人も多い。我々にできる事はそういった教師をしっかりとした目で判別し、応援していくということだ。


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posted by 八雲 at 14:48| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

「時は?なり」 時間意識は変えられる

「『時は金なり』といいますが、あなたにとっての1時間はいくらですか」

1時間の価値は4都市平均で約2万5000円だった。賃金や物価水準の違いを超えて、東京が“最安値”の9193円。ベルリンの263ユーロ(約4万3000円)、ニューヨークの327ドル(約3万9700円)に比べて4分の1以下だ。北京の649元(約1万300円)と比べても低い。日本人は自分の時間を「安売り」しすぎか。

◇やっぱり東京は世界一忙しい? 1日「32時間欲しい」

「1日(24時間)の時間を増やせるとしたら、あと何時間欲しいですか。また、どの時間帯を増やしたいですか」

 増やしたい時間は東京が最長で平均8時間32分。以下、北京6時間54分、ニューヨーク6時間32分、ベルリン5時間27分だった。週35時間労働が定着し、休暇や余暇を大切にするドイツの首都ベルリンがもっとも短い結果になった。

増やしたい時間帯は、東京では午後9時〜午前6時といった夜半から未明にかけてを望む人が63.8%に上った。一方、ニューヨークとベルリンは、午後6時〜9時までの「宵の口」を増やしたい人が共に35%余で最も多く、北京では午前6時〜9時までを増やしたい人が最多だった。

深夜の時間が「もっと欲しい」と考える日本のビジネスマンは、「遊ぶ時間よりも寝る時間をくれ」ということだろうか。ビジネスタイムの午前9時〜午後6時の時間帯を増やしたいと回答した人も、東京が4都市で最も少ない8.5%だった。(一部引用)

「時は金なり」ではない「時は全てである」というのは筆者の尊敬するある人物の言葉であるが、人生とは時間をどう意識できるかで変わると言っても過言ではない。

人間の時間は常に有限であり、人はその有限の中で一体何をするべきなのか熟慮する必要がある。貴方が今行おうとしている事は本当に貴方の未来にとって重要なことだろうか? 言い換えるならば貴方にとってそれは最優先でやるべき事なのか? ただ漫然と面白いから、楽しいから、付き合いだから、習慣だからと時間の浪費をしていないだろうか?

時間がない、という人は常にこのやるべき事の優先順位と必要ないことの切り捨てが出来ていない。もう一度自分の一日を見直してみて、すべき事をして、切り捨てるべき事をしていないか、考えてみるのは人生にとって大いに有益ではないか、と筆者は考えるのだが。

ソース元URL
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070608mog00m040001000c.html


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posted by 八雲 at 13:37| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月09日

それは「ポスト」ではなく「ゆりかご」である

やむを得ない事情で育てられなくなった新生児を匿名で預けることができる慈恵病院(熊本市)の「赤ちゃんポスト」(こうのとりのゆりかご)が10日で運用開始から1カ月となるのを前に、同病院の蓮田太二理事長が8日、同病院で記者会見し、この1カ月間に救われた命があるかとの報道陣の質問に「そう思う」と答えた。
計画発表当時から強く指摘されている「捨て子を助長する」との懸念に対しては、「現時点で育児放棄が助長されているとは思わない」と否定。「設置した意義はある」との認識を示した。(記事引用)

賛否両論あるこのこうのとりのゆりかごだが、マスコミが「赤ちゃんポスト」というネガティブな言葉を使いたがる所を見ると、マスコミの間では反対派が郵政のようだ。

確かに子を捨てる親は許せない。大人としてやってはいけない行為だし、どんな事情があれ非難されるべき行為であるということは変わらない。だが、こうのとりのゆりかごは彼らを救済する為にある装置ではない事を忘れてはならない。

こうのとりのゆりかごはそういった無責任な親が、この命を愚かな手で放棄することで失われる事を防ぐ為のものである。これは子供の為にある装置であり、大人の為にある装置ではない。

そんな大人は許せない、あってはならない行為だ、だからそんな装置はあってはならないという結論は危険だ。なくても捨てる親は存在し、現実に子を放棄する親は存在する。その現実を前に理想論はむなしすぎる。だからこそ、現実的に受け皿は必要であり、無責任な親の手から子供を保護する手段が理想論抜きで必要となってくるのである。

死は全ての可能性を子供から奪ってしまう。それだけは避けなければならないのだ。

ソース元URL
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007060800954


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posted by 八雲 at 12:47| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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